任天堂は特色の無いコントローラを反省している
で、任天堂は反省して、次のプラットフォームの「ゲームキューブ(以下GC)」2001-09-14では性能競争にブレーキを踏み、作りやすさや、読み込みスピード、一時的な性能ではなくゲーム総体としての性能、携帯機との連携なんかの方向性を出していく。
そしてGCのコントローラは、トータルバランスに優れた素晴らしいコントローラではあった。
ただ、その結果として出来たのは「既存のゲームの焼き直し」だったりして、失った市場を回復するには至らず。どころか微減。
サードパーティーのゲームは「他機種でも同じものがプレイできる」というものが多く、特にGCを買う必要性を感じさせない。
市場獲得戦争と言う意味では、哀れ任天堂は二度の失地にまみれることとなった。
特色の無いコントローラでは、他社のゲーム機と差別化できない、つまりソフトの囲い込みもできない、ということをつくづくと思い知ったのではないかと思う。
そこで出てくるのが「ニンテンドーDS」2004-11-21である。
このマシンには、幾つかの斬新なインタフェースが採用されるが、実は任天堂にとっては新しいものではない。
「ゲーム&ウォッチ」の「ドンキーコング」1982-06-03に代表される二画面モデル。
ファミコンの2コントローラのマイク。
64「ピカチュウげんきでちゅう」1998-12-12のマイク。
以上のもので、既に製品化済みである。
これらに加え、DSはタッチスクリーンという直感的インタフェースを採用した。
タッチスクリーンもスーパーファミコンマウスを使った「マリオペイント」1992-07-14等である程度は実験がなされていたと言えるだろう。実際DSに内蔵された「ピクトチャット」は「マリオペイント」-「マリオアーティスト」の流れと見ることができる。
これは任天堂ではないが元任天堂の横井氏が指揮して開発された携帯ゲーム機、バンダイ「ワンダースワン」1999-03-04は、縦でも横でも使えるマシンだった。この発想もDSに生きている。
正確には「新しいインタフェースではなく、普段の生活に近い古くさいインタフェース」だったりするのがミソだ。横開きで持ってペンで使うのはまるっきり手帳感覚だ。これでコントローラの恐怖感を取り除くことに成功した。
この今までの経験を集約したDSの成功で、任天堂はインタフェースが新たな顧客を呼び込む、という事に自信を持った、といえる。
そして、Wiiでも斬新なコントローラを採用する。これも、まったく斬新だったかというと実はそうではない。
「ポケットピカチュウ」1998-03-27は万歩計にゲームを組み込んだ玩具。基本的にハドソン「てくてくエンジェル」1997と同じ発想。
「コロコロカービィ」2000-08-23はゲームボーイ用の動きセンサーカートリッジ。
おそらく現在でも世界最小のソフト交換可能のゲームハードウェア「ポケモンミニ」2001-12-14には「ポケットピカチュウ」と同様のショックセンサーが組み込まれている。
ゲームボーイアドバンス「まわるメイドインワリオ」2004-10-14のカートリッジには、回転センサーが搭載された。
GC「ウェーブバード」2002-12-05はワイヤレスコントローラ。
Wiiコントローラは、以上のように地味ながらも実際の商品として発売し、研究を重ねてきた製品群の延長にある製品であり、決して「思いつきから数ヶ月程度」で作ったものではない。
任天堂は、他社には真似のできない足腰の強さをもった会社なのである。有り体に言って、怖いぐらいしつこい。
参考:鳶嶋工房 / Game / Essay / GCコントローラレビュー
参考:鳶嶋工房 / Game / Essay / Wiiコントローラはどう使う
参考:【特別インタビュー】「失ったものを取り戻したい」---任天堂岩田社長が「Wii」に込めた想い:ITpro