任天堂は大作主義を反省している
GCの時点では、まだRPGがゲーム機を引っ張るキラータイトルだという認識が強かったのではないかと思う。
ナムコ「テイルズオブシンフォニア」2003-08-29やスクウェア「FFクリスタルクロニクル」2003-08-08なんかは、かなり任天堂側からの強力な誘致作戦が取られたように見えたが、もはや大作RPGでユーザーが動く時代でもないということが確認できた、という結果。
FFに関しては外伝であるため、実際のゲーム内容とは関係なく「負け犬がおこぼれをもらっている」と言うとえげつないが、そんな悪い雰囲気になってしまった。むしろタイトルにFFって書いてなかった方が良かったかもしれない。
他の大作ゲームも売り上げははかばかしくなく、明らかに長くかかるゲームに消費者は辟易していることが見て取れる。
逆にアドベンチャーゲームのような、昔なら「すぐ終わって損した気分になる」と言われたゲームの復権ももたらすのではないかと期待している。
今のところ、アドベンチャーゲームに関する任天堂の戦略は、あまり見えないが、DS向けに「アナザーコード 2つの記憶」2005-02-24(制作シング)や「プロジェクトハッカー 覚醒」2006-07-13(企画RED)を投入するなど、着々と実験は行なっているようだ。
任天堂のタイトルはそう多くはないが、現在カプコン「逆転裁判」シリーズなど、サードパーティー製品の評判が良いので、特に任天堂が開拓しなくてもいい、という判断かもしれないし、Wiiのバーチャルコンソールのような、非パッケージでの低額販売を想定しているのかもしれない。
セガ「ゲームのかんづめ(ゲーム図書館)」1994-03-18のファンタシースターテキストアドベンチャーのような、キャラグッズ的スピンオフ作品には、特に期待できそうだ。
ある程度じっくり遊べる大作も求められる据え置き機で、これから任天堂がどのような戦略を取っていくのか注目される。
たぶん従来の大作路線のものもシェイプアップしつつリリースし、ダウンロードの追加データなどで中古への流通を押さえつつ、お得感を出すというところではなかろうか。
これもまた、セガ「サクラ大戦3」2001-03-22なんかでやった手法で目新しくはない。
良くいえばソフトウェアでも「枯れた技術の水平思考」を行なうのが任天堂であり、悪くいうとパクリを恥じないのが任天堂だ。セガの屍の上をほいほいと乗り越えていくことを平気でやりそうで「個人的には期待している」
どの作品でのエピソードだったか忘れたが、千利休がおもむろに茶碗を割り「割る前はただの茶碗。これを金で継ぐと、利休の茶碗になりますのや(うろ覚え)」と言ったのを思い出す。怖いわ京都人(出身は界だけど)
参考:鳶嶋工房 / Essay / 早く終われ!