任天堂はディスクメディアでの失敗を反省している
シャープ(ミツミ電機)のクイックディスク技術を基にした「ディスクシステム」1986-02-21は、一時はそのソフトの安さや大容量等によって成功したかに見えたが、カートリッジの大容量化やバックアップや音源などの特殊チップによる高性能化、ディスクアクセスの遅さなどによって駆逐された。
発売時期を分けた前後編のゲームも多く出て、パッケージの作り方にも一石を投じた。大抵はプレイヤーにとって「迷惑なだけ」だったりしたが、リリースタイミングが良ければ話題の持続が可能であることも同時に示した。
ファミコン「ディスクライター」1986-02-21
その時に店頭に置かれた、ディスク書き換え装置がディスクライターだ。
パッケージではなく書き換えによって商品を流通させようという画期的なシステムだった。
ただ、あまりサードパーティーにメリットのあるシステムでもなく、ROMの分配量(任天堂が決める)が足りないから、しょうがなくディスクに出す、なんて会社も少なくなかったようだ。
また「ディスクライター」を介してディスクのデータを送受信する「ディスクファクス」というシステムにより、ゲームデータ(スコアやクリア情報)のプレイヤーからの送信ができるようにもなっていた。ただし、データは任天堂にしか送れなかったので、さほど広がりは見せなかった。
ちなみに、「ディスクファクス」は、アニメーションする電子メールやら、家庭学習の教材配布やら、もっと色んなことができるシステムの名前として付けられていたようで、家庭用ハードの発売も予定されていたようだが、結局は日の目は見なかった。
もしディスクシステムが上手く回ってたら、コンピュータとネットワークの世界は、今とはまったく違う様相を呈していただろう。そういう技術は、他にも掃いて捨てるほどあるし、要するに上手く行かなかったってだけの話ではあるが。
任天堂は、ここでの失敗を反省しすぎて、スーパーファミコンや64のソフト供給にディスクを使うことをせずROMカートリッジに拘った。
大容量メディアに目がくらんでいたプレイヤーの悪反応もあったろうが、カートリッジは任天堂が製造を握ることになるので、流通やサードパーティーの任天堂支配に対する警戒心を強めてしまったことも、敗因と思われる。
カートリッジのメリットは大きいが、時流を考えない投入はエゴとなる。反省も、しすぎては毒ということだ。