任天堂の本質は

 長々と、任天堂の失敗を語ってきたわけだが、任天堂の本質はそんなにぶれてない。
 様々なインタビューなどを読むに、次の哲学を持っているようだ。

  1. 娯楽の幅は極めて広く、あらゆる人間活動に娯楽要素はある
  2. 娯楽の流行はまったくの水物であり、予想できない

 これから導きだされる任天堂の戦略は、自然と次のようになる。

  1. 娯楽以外のことをやる必要は無い
  2. 予想をせず最大限広い守備範囲を持ち、流行を逃がさない

 でもまー、全方向に一定以上のクオリティのものを出していくなんて戦略、普通できるもんではない。
 こんな戦略は誰でも立てることはできる、でも実行するのは不可能。この不可能がある程度やれちゃってる任天堂ってなんなんだろう。
 セガは全方向にやろうとして、結局「後追いのクオリティの劣る」ソフトを乱発することになってしまったし。普通だったら出せるだけで凄い。セガは凄いんだが…任天堂はもっと凄い。
 任天堂はある時期から、スパーンとアーケードを切っちゃってるのが両者の分かりやすい違いではあるが、それが両者の本質的違いとも思えない。
 あえて言えば「哲学」の有る無し、ってことなんだろうか。セガのゲームは好きだが、哲学を感じたことがないんだなぁ。

 とま結局、感想言って結論出さずに終わるわけだが…。