ゲームが物語と折り合いが悪い理由の一つは操作可能であることだ

 ゲームはプレイヤーが進める。そのため、予想外の展開をプレイヤーキャラクタ自身が行うことはできない。
 ムービーとかのデモでやるじゃないかと思う方もいるだろうが、その時は言葉通りに取れば「プレイヤーキャラクタ」ではない、動かしているのは制作者であるから「制作者キャラクタ」である。

 となると、どんなに荒唐無稽なことであっても、プレイヤーが意図して操作した、ということは意外でもなんでもないことなのだ。
 予想通りの展開というのは、物語性の高いメディアにおいては、マイナス要因かもしれないが、ゲームでは「展開を予想できた」ということ自体が、カタルシスを産むものであり、「予想通りの展開」は褒め言葉と言っても良いくらいだ。
 ギャンブル的に言えば「読みが的中した」わけなのだから「ここで喜ばなくて、どこで喜ぶ」というくらいのものだ。

 ゲームの中でも特に推理もの(多くのゲームでこの要素がある)なんかでは、推理の結果と、意外な展開が求められたりするのだが、前述の通りこの二つを、ひとりで担うのは無理がある。
 これを解消するために導入されるのが、主人公は「名探偵ではなく助手」パターンだ。
 プレイヤーは謎が解けない可能性がある。しかし名探偵が謎を解けないのでは存在意義が無い。
 助手なら解けなくても良い。さらに言えば、助手は名探偵からバカスカヒントを貰っても良いし、最後まで謎の意味が分からなくても、優秀な名探偵が謎を解説してくれるというスンポーだ。
 プレイヤーは名探偵の謎解きを待っても良いし、先に謎解きをしてしまっても良い。
 名探偵たることから解放された、プレイヤーキャラのなんと自由なことよ。
 その辺りでは、「御神楽少女探偵団」の立ち位置が、非常に良かったと思う。