萌えとゲームの親和性

 ゲームは様々なものを記号化することで、プレイヤーの理解を促しているのは周知の通りだ。
 例えば柵は飛び越えられないものの記号なので、少々低くても飛び越えられない事をプレイヤーに認知させる。
 そもそもコンピュータはデジタルなものなので、記号化されていないものは扱えない。
 ゲームはあらゆるものを分解し、記号化しないと成立しない。
 とまぁ、そのへんをふまえて萌え要素を考えてみる。

萌え要素とは女性の因数分解です

 萌え要素とは、主に女性キャラクタの特徴を因数分解し記号化したものだ。
 最小単位まで因数分解できたとき、それは女性の元素となるわけだが、現状の萌え要素は分子レベルぐらい。

萌えキャラとは俳句です

 萌え要素とは、俳句で言うところの季語や本歌取りであり、一要素のバックグラウンドには様々な意味が渾然一体となって詰め込まれている。
 萌え要素を使う事で、くどくど説明するよりも沢山の情報を一時に伝える事ができる。
 俳句で物語を想像できるように、萌えキャラは単体で既に物語を持っている、と言える。

萌え要素はコミュニケーションです

 視覚的な記号は、言語化せずとも伝わるし認識される。例えば、「猫耳」は萌え要素の名称としての「猫耳」が成立する以前から存在が認識されていた。
 だが、コミュニケーションを取ろうとする時、絵が描けないとなかなか伝えづらい、そもそも絵を描くのがまどろっこしい、という問題が生ずる。
 そこで記号の言語化だ。「基本的に人間なんだけど、頭に猫みたいな耳が付いてる、例えばあの…」と言う代わりに「猫耳」と言うのだ。ああラクチン。

 人は様々なものを言語化する事で認識する。絵で表せないものは言語化以前は存在していても認識されていない。
 例えば「ツンデレ」という要素は、ツンデレという言葉が発生する前から存在していたが、言語化される事によって認識されるようになった。ツンデレという言葉の発生前のキャラクタに遡ってツンデレが適用された事からも明らかだ。
 だいたい「萌え」自体が、言語化される事によって認識された概念でもある。

 このように言語化する事で、記号化され共通認識化することで、会話・文章によるコミュニケーションが可能になり、一気にコミュニケーションの敷居が下がる。
 これは、受け手間でのコミュニケーションの発生を意味し、受け手が容易に作り手になる可能性が開けた、とも言える。

萌えるとは、ゲームプレイです

 萌えとゲームってのは、親和性が高いものであるということは間違いないのだが、萌えることとゲームプレイは、行為としてかなり似ているので、互いに受け手を奪い合う関係でもある。

  • 萌えるとは、作り手が用意した世界やキャラクタを、受け手が妄想をすることで埋めて完成させる行為。
  • ゲームプレイとは、作り手が用意した世界やキャラクタを、受け手が操作をすることで埋めて完成させる行為。

 …似すぎです。お鍋の汁が蒸発してしまうぐらい似すぎです。ほぼ地続きです。
 さらに言うと、萌えの方が自由度が高い故に、ゲームから萌えにシフトすると「戻ってこなくなることもままある」という事だ。

いかーん!ゲームが萌えに滅ぼされてしまう!!!!

 とゆーわけで、ゲームの心強い味方であり敵でもある「萌え」を色々と研究したいと思ってます。