萌える理由

 さて、萌えは分類「外見」「内面」「関係」に分類できるとしたわけだが、それは一番分かりやすい視点でしかない。
 今回は、別の視点、あるいは別の軸で分類してみる。萌える理由だ。
 んなもん理屈じゃねーよ、というのも尤もだが、それでは話が終わってしまってつまらないので、無理矢理気味でも理屈をつけた。

 ここでもまず3つに分類する「愛玩」「母性」「自己」。
 そして萌えの重要な点は「落差の感覚」であるということだ。強いと思った女がふと見せた涙。
 そこで、落差を生み出す「自立」「父性」「異邦」も萌え要素となる。
 前3つの分類は、ひたすらその要素だけで構成されていても萌えるが、後3つは単体では強くなるほど萌えから遠ざかる。
 助けなんかいらない、と言い続けて本当に助けがいらないのでは萌えない。最後の最後に「助けて!」と言うから萌えるのだ。あるいは、その裏に弱さが見えるから萌えるのだ。

 ただ、この分類。現在の萌え要素に当てはめると、大抵複合するので分類に向かない。しかし、分析する場合には、面白い評価軸となる。
 例えば猫耳だが、当然動物で「愛玩」に分類されるが、猫の孤高要素「自立」も混じっているし、非人間である「異邦」もある。
 超能力者というのは、「異邦」の典型ではあるが、オタクは自己を社会の異邦者であると強く感じているため、むしろ超能力者に「自己」を投影する。「I'm Slan」なのだ。
 メイドはかいがいしく世話をしてくれる「母性」であり、保護と命令の対象「愛玩」である。

愛玩

 動物、特に小動物や子供に持つ愛おしい感覚。萌えの基本中の基本。
 白紙であり、処女性である。受け手を押し付けることができる。
 受け手に、「責任のない母性」あるいは「絶対的に強いものの傲慢」を発揮させてくれる。

母性

 主人公(受け手)を認めてくれ、チヤホヤしてくれ、甘えさせてくれる。
 おおむね「愛玩」と対になるのが「母性」だが、受け手に押し付けない。したいことをさせてくれるのが決定的な違い。
 受け手の「責任を否定」して「現在を肯定」する。

自己

 自身と同じものを他者に発見すると愛おしさを感じる。
 二足歩行する四つ足の動物が可愛い、という感覚だ。
 自分は可愛い、というミモフタもない感覚だ。「現在を肯定」という意味では「母性」と同じ。

自己肯定

「愛玩」「母性」「自己」は、自己肯定3要素と言える。

自立

「愛玩」の対立項。甘えてこない、強い。
 自我がある。

父性

「母性」の対立項。主人公(受け手)を否定し、甘えを拒否する。
 異なる自我による判断。

異邦

 自分と決定的に異なり分かり合えない。
 異なる自我。

他者としての存在

「自立」「父性」「異邦」は、他者3要素と言える。
 自己否定ではなく、自分以外の存在の肯定である。

つまりゲーム

「お前なんか知らない、ボクを見て、ボクを認めて!!」これが萌えの本質だ。
 だから心地よい。

 自分でキャラクタや世界を動かせる感覚、そしてひたすらの賞賛、エゴイスティックになりきれるゲームは、萌え製造機と言っていい。
 だから心地よい。人が他にいないうちは。