オープニングの長さ


 どんな壮大なストーリーでも、オープニングは5分以内にして欲しい。

 5分以上続けなければいけない場合は、5分後に少しだけゲームを進ませ、また5分オープニングの続きを行うのが良い。

 そういう点では、しばらくゲームを進めた後タイトルが入ってくる「ファイナルファンタジーII」等のオープニングは、非常に優れている。


 ここで言ってるオープニングとは、ムービーシーンを指すのではなく、ユーザに選択肢(インタラクション)が提示されるまでの、次へボタンを押す以外の事がない状態。


「同級生2」は多分、冒頭の20分ぐらいやったと思うんだが、もう気力が続かなかった。

 なんだこのオープニングの長さは!!「もはやゲームでは無い」と断定しても良い。あんなもんを評価してはいけない。

 などと思っていたが、その後ビジュアルノベルがエロゲ界では主流になり、オープニングが終わらないままエンディングに突入するようになってしまった。

 要するに、本当にゲームではなくなってしまった。

 見た目が非常にゲームっぽいので、これはゲームでないけど別の面白い何かなんだ、と気持ちを切り替えることができず、20分ぐらいで挫折している。

難しいと面倒


 シューティングゲームは、1面から同じことを繰り返さなければいけないことが多い。

 任天堂ゼルダの伝説 ムジュラの仮面」は、持ち物が無くなってしまうので、面倒に振れていることも否めない。

 時間を費やすことにより熟成される面白さがないわけではないが、やはり面倒な部分は極力なくして欲しいところである。

褒美の与えかた


 禁欲があって、落差として満たされる欲。

 出し惜しみせず出し続けると、慣れられ飽きられる。

 出す間隔が長すぎると、諦められる。

 必要なのは、チラリズム。褒美は一瞬で、小刻みに与える。少なくとも、イントロですぐ与える必要がある。例えばレベルアップの作りが参考になる。

 全方位の欲望に対応して、様々な満足を畳み掛けるように与える。

 プレイヤーごとに反応する欲望は異なるから、褒美のつもりが褒美になっていないということは往々にしてある。

 逆に褒美のつもりが苦痛になっていることもある、例えばムービーシーン。

 だから褒美は一瞬である必要がある。長いから褒美の価値が高まるというものではないのに対し、長いと苦痛は確実に高まる。

アイテム入手のカテゴリ分け


 能動的に手に入れる場合と、副次的に手に入る場合、で分けることもできそう。

 能動的な場合「手に入れない」という選択肢を選べるが、副次的なものの場合は「(欲しくないのに)手に入ってしまう」こともある。

ゲームに惚れたわけはその解像度の高さかも

 ふと思ったんだけど、24フレームの映画で横スクロール(パン)しているのを見た時に、そのガクガク度合いに愕然としちゃう私は、コンピュータゲームの60FPSの滑らかさにやられてしまったのかもしれない。
ゼルダの伝説 時のオカリナ」をマイベストと思っている時点で違う気もするけど。

読み聞かせ


 任天堂「MOTHER」は相棒というシステムではない方法で口語を中心とする。

 絵本の読み聞かせに近い形をとった。


 糸井重里はMOTHERの台詞を書いていない、台詞を話してそれをタイプしてもらったのだという。

 漢字が使われていないのは、子供向けだからでは無い、幼稚だからでは無い、それが話し言葉だからなのだ。

 だから、MOTHERの台詞はグッとくるのではないだろうか。ディスプレイの向こう側で演技しているキャラクターの発した言葉ではなく、糸井重里が「きみ」に話しかける言葉だから。


 とはいえ、漢字を表示することに、ハードウェア・ソフトウェア的なハードルがほとんど無い現在も、ゲームは全て仮名でメッセージを書くべき、とは思わないが。


 ドラゴンクエストのコマンドが「たたかう」であり「戦う」ではないのは、話し言葉感を無くしたくないという意思の現れではないかと思う。

ゲームに燃え尽きる時

 これ以上の発展を感じられなくなったとき。
 自分の腕が上がらなくなったとき。
 ゲームの仕組みを全て理解し、もう想像した以上のことが起きないと思ったとき(本当に全て理解する必要は無い、プレイヤーが理解したと勘違いしていたとしてもいいし、理解したい部分だけ理解した場合でもいい、ただそれはプレイヤーにとって「全て理解した」と等しい効果を持つ)
 ゲーム以外に興味が出る。
 逃避が目的であった場合、ゲームに逃避する必要が無くなる。
 コミュニケーションが目的であった場合、そのゲームが周囲の話題でなくなる。
 ミッションなどのプレイを義務的にこなしている事に気づいたとき。