ゲーム欲

 食欲で比喩してみよう。
 食欲旺盛な人は、ボリュームたっぷりのご飯に喜ぶ。
 ゲーム欲旺盛な人は、ボリュームたっぷりのゲームに喜ぶ。
 以上を参考に、以下の例を、食欲をゲーム欲に置き換えて、考えてほしい。
 500円のチャーハンを頼んだら、ムキになって山盛りにしたものが来た。主人に聞いたら「ご飯が2合分使ってあるんですよー」と自慢げに応えられた。ムリ…食えない。
 最近、食欲がない。
 食欲はあるが、食が細いので少しで満足する。
 お昼に沢山食べて、お腹がすいていないので、夕食は無くてもいい。
 もう食べられないかと思ったけど、デザートは別腹っていうのは本当だ。

レースシューティングの対戦


 レース+シューティングは対戦ゲームにもってこいな気がするが、対戦になっているものは記憶に無い。

 ボーステック「トップルジップ」、ケイブ魔法大作戦」も一人用だ。

 どっか出してると思うんだけどねー。「ティンクルスタースプライツ」レースモードがついてたりとか。

ゲーム序盤でのストーリー展開


 ドラマの構成としては、冒頭に強いインパクトを与え、主人公の行動の動機付けを行う。

 ゲームの場合、冒頭はプレイヤーをゲームに馴れさせなければいけないので、あまりドラマ側で強いインパクトを与えると、そちらが気になって、ゲームシステムの習得が不十分になってしまい、結果としてドラマの方も楽しめなくなってしまう危険がある。

 もしかしたら、あるゲームシステムが本ほど一般化し、システムに馴れさせる過程が必要なくなる可能性も無くはないが、ちょっと考えにくい。

一人称の困難


 ストーリーが複雑になってくると、一人称で語るのは難しくなってくる。

 一人称である限り、他人の状況はその場に一緒にいるか、伝聞で知るという事になる。


 それだけでは限界があるので、ドラクエIVでは夢、VIでは幽霊(?)となるという形で実際は主人公がいない場所の出来事をプレイヤーに知らせるという苦肉の策を取っている。

 夢という形は、データイーストヘラクレスの栄光III」等でも取られている。

 現代や未来では、ワープ「エネミーゼロ」のようにカメラを通して見る光景となるわけだが、これも自然に行うのは難しい。

 一人称に拘るというのも、なかなかに難儀な事である。

ゲームとストーリー


 アクションゲームやシミュレーションゲームでは、予想できないドラマが発生したりするが、それはゲームの中にあるストーリーではない。

 ストーリーは脈絡とほとんど同一だが。それらのゲームでは脈絡が仕込まれているのではなく、プレイヤーが全く脈絡のないところに脈絡を発見することにより、ストーリーを創り出してしまう。


 じゃ、ストーリーって何かって話になるが、ストーリーは日本語だと筋書き、筋書きの意味は「あらかじめ仕組んだ展開」なのである。

 偶然産まれたりプレイヤーの選択の結果産まれたものは、この意味からするとどう考えてもストーリーではない。

 それらは、ドラマを目撃している瞬間ではなく、それが記憶として定着した後にストーリーとなる。記憶とは過去の出来事であり、あらかじめ決まっていることであり、記憶であってゲームではない。


 ストーリーはゲームじゃないからゲームに不要だとか、入ってちゃいけないとか言っているわけではなく、全然ゲームの本質ではないと言うことだ。

 もうそれは、画像、文字、音、などと同じような「ゲームの素材」の一つであり、あって成り立つゲームもあれば、無かったとしても「そういうゲームなだけ」であり、有る無いの二元論でなく、その濃度であったとしても、単なる個性であって、単純にゲームとしての優劣とはならない。


 …相変わらずの、まとまりのない思考の垂れ流しっぷりがステキだぜオレ。

どこまでがゲームかの個人的境界


 個人的には、ロールプレイングゲームやアドベンャーゲームも、ゲームと呼べるかどうかかなり怪しいと思っている。

 パズルはゲームでない派からすると、議論の余地無く「ゲームじゃない」のでしょうが、私はパズルはゲーム派です。

 クリアした時のカタルシスに主体があるか、その過程に主体があるか、という話か。

スイッチのパターン


 ON/OFFのトグルタイプ
 3以上の変化、赤・青・黄など
 ボリューム型
 トグルを複数組み合わせたビット式
 連動型(別の場所のスイッチも動く)


 火をつける
 敵を倒す(全滅させる)
 光を当てる
 氷を溶かす
 水をかける
  ラクガキを消す
  草花を育てる
 土を掘る、何か埋める
 宝箱の蓋を開ける・閉じる


 上に乗る・物を置く
 衝撃をあたえる(剣・矢・鞭・ブーメラン・爆弾・岩・敵など)
 アイテムを使う
 特定の動作(ダッシュなど)