「うる星やつら」ラム
今回は、萌えの代表的キャラを一人だけ取り上げて、深く掘り下げてみる。
まず最初ということで、王道中の王道キャラ。萌えという言葉発生以前だが、「うる星やつら」のラムを取り上げる。
登場から30年経過した今でも、オタクの記号として"ラムちゃん"の「紙袋・Tシャツ・ポスター・フィギュア・コスプレ」が使われる程の圧倒的知名度を持つキャラクタである。
なお、今まで取り上げたキャラのラインナップは萌えキャラ一覧を見てほしい。
「うる星やつら」1978から1987は、SF学園ギャグ漫画であり、当初は押し掛け女房設定にも関わらず恋愛要素は薄かった。
この時代、SF+ロリコン+アニメ(漫画)がオタクを作っていた。「うる星やつら」はその代表中の代表である。
ちなみに、このころはロリコンは高校生まで含んでいた。というより高校生が中心だった気がする。
原作は徐々に恋愛要素が高くなっていったため、恋愛について補完する必要は無くなっていくが、エロに関してはむしろ「そこまで行ってなぜHに行かない」とフラストレーションはたまるばかり。むしろ初期の方がキスなどの直接的接触が多かったぐらい。
これがエロ同人誌の爆発につながり、現在の同人漫画→エロパロの隆盛へとつながった、のではないかと思われる。
エロに限らず、園田 健一の「ラムロイド」がその後のアンドロイド美少女に大きな影響を与えるなど、本編だけではなくパロディがさらにムーブメントを作っていった。
この時代、受け手は受け手であるだけでなく、キャラクタを加工し消費する事を覚えた。「うる星やつら」は、同人誌がオリジナル作品や作品評論から、二次創作へと転換する契機となった作品といえる。
その理由は上記のもの以外にも様々にあるが、以下ラムの持つ「真似しやすいキャラ造形」に注目して述べる。
以下の要素の多くはラムが最初というわけではないが、この時期(1980年代前半)に認知されたものであり、ラムがそれを代表するキャラクタであることは間違いない。
外見要素
装備
虎縞ビキニ・ロングブーツ
縞パン・縞ニーソの原型と断言して問題ないだろう。
横縞を入れると、立体感が強調される。二次元美少女に、これほど合っている表現はそうそうない。
ちなみに、ラムと共演する竜之介のさらしも胸の立体感を強調する効果がある。
その他
虎縞ビキニがメインの衣装、セーラー服がサブ衣装といった位置づけで、さらに髪を黒くしたりまとめたり、チャイナ服着たりバニーガール姿になったり戦闘服着たり、ヒロイン自身がコスプレ的な要素を持っていた。
特にセーラー服は、サブヒロインの三宅しのぶが、黒髪・黒目・おかっぱという極めて古典的な日本の美少女キャラクタ造形であるため、キャラクタの対比が際立つ。
参考 : 外見要素-服-学生服
髪
緑髪
「うる星やつら」が始めたというわけではないが、キャラクタが大量に出演するため、特にアニメでは髪色でのキャラ分けが積極的に行われた。
アニメで緑が選択されたのは、黒髪のイメージが残せる、青空に溶け込まない、角やビキニの黄色と合わせて映える、といったところかと思う。
日本人だから黒、西洋人だから金髪といった設定重視の方法論から、絵的に映えるかどうか、集合したときに他のキャラと区別がつくか、という視覚重視の方法論への転換期であったといえる。
原作は宇宙人だから虹色、アニメは上記の通りの理由で緑と、転換期を象徴する髪色であったと言える。これらの理由は筆者の勝手な想像に過ぎないが、まず間違いないところだろう。
参考 : 外見要素-髪-髪色
房状のもみあげ
ラムの髪型で特徴的なのは、耳の前から胸まで垂れ下がる房だ。
胸の前でちらちら揺れるそれは、嫌が応にも胸の膨らみを強調する。
現実の髪型としては頬にかかる髪は、輪郭を曖昧にして小顔に見せるカメラのソフトフォーカスのような効果がある。絵では受け手が一番好きな輪郭を補完できる、ラフ線と同様の効果がある。
つまり、受け手の想像を刺激する髪型であるのだ。
現在の多くの女性キャラは長短の違いはあるが、耳の前に髪の毛の房があり、キャラクタデザインの定番となっている。
前髪
特に初期は前髪をきっちり真ん中から二つの塊に分ける髪型だった。この前髪はしばらく漫画アニメで流行したが、現在はあまり見かけない。
くっきりと分かれて塊になったこの前髪はパーツ分けしやすく、フィギュアを非常に作りやすい形だった。
角・尖った耳
角は猫耳ともつながる動物意匠。さらに耳はさりげなく尖っていて、エルフ耳につながる。
猫耳とエルフ耳を同居させると過剰だが、角とちょっと尖った耳なら大丈夫。このコンビネーションは今見ても絶妙。
ラムのデザインの多くは、鬼ごっこ→鬼娘という設定から産まれたと思われるが、その配置には唸らざるをえない。
吊り目とアイシャドウ
一つ間違えれば「ケバい」アイシャドウと吊り目。
これらの特徴はあまり重視されなかったようで、二次創作では勿論、原作も目つきは柔らかく、化粧は薄くなる傾向にあった。これは、同時期に同じ作者による「めぞん一刻」の音無響子にも言える。
劇画的、あるいはピンナップガール的な女らしさから、自然な女の子っぽさに移る時代性を反映したものであり、オタクの好む無垢な美少女像の反映であったとも言える。
顔の特徴が一定しなかったことは、様々なラムの許容と同義であり、これがコスプレを後押ししたのはまず間違いない。
内面要素
特技
飛行
ラムは空を飛ぶ。このことにより女の子を様々なアングルから、様々なポーズで描くことを可能にする。
空を飛ぶ女の子という属性自体は、さほど継承されなかったが、女の子を描く際の全体的な画力の引き上げを促したのではないかと想像する。
電撃
ラムの電撃能力は嫉妬の可視化であり。なんといっても分かりやすい。ラムは本当に分かりやすい要素が多い。ただ、分かりやすい=作り出すのが簡単、なのではなく多くはコペルニクス的転回を経て生み出された要素である。
それ故、その後は常識となり、この嫉妬を分かりやすく視覚化する手法は「ゼロの使い魔」ルイズの鞭のように、手を替え品を替え継承されている。
ちなみに、電撃は、鬼→雷さま→電撃の発想だろう。そう考えると、最初の「鬼ごっこ」の設定はすばらしい僥倖とだったといえる。
その他
その他、料理が下手(正確には地球人と味覚が違うだけ)、梅干しで酔っぱらう、手芸が上手など、今の視点で見ると相当あざといキャラ設定も持っている。
喋り
うち〜だっちゃ
「うち」という一人称と「だっちゃ」の語尾。これらにより、どんな人でもラムの物まねが可能。どんなに他の部分が似てなくても、それだけでラムと認識できる。圧倒的分かりやすさ。
キャラクタの記号化は、一次創作物のキャラクタの認識を容易にするのは勿論、二次創作も容易にする。
ちなみに、「だっちゃ」は単独で肯定の意味を持つ。
言葉で伝えることができるこの要素は使い勝手が良く、ファンの間でのコミュニケーションを加速し伝播を進める。
関係要素
ダーリン
あたるのことをダーリンと呼ぶが、これはおそらく「奥さまは魔女」などのアメリカンホームドラマの影響だろう。ウインクなどの仕草も、アメリカっぽい。
まだ時代的に、明るく可愛らしい健康的な色気を持つ女の子を登場させるには、アメリカ的なテイストを入れて、受容しやすくする必要があった。
鬼は和の代表のようでいて、その実態は昔の日本人が見た西洋人の姿だという説も良く聞かれる。
ラムが鬼であったのは、後から見ると必然であったとしか言いようがない。
ちなみに、うる星だけあって星の意匠がアニメのオープニングを中心によく使われたが、これもアメリカ風味を醸し出すのに一役買っている。
また、時代的に婚約者をフィアンセと読ませるのが流行った。
同居人(天女・女ドラえもん)
現代地球人を遥かに越えた能力(テクノロジー)を有するヒロインと、主人公が同居するパターン。
ラム以前も「天女の羽衣」のパターンは一般的だったが、ラム以後はもうラムを無視しては作れなくなってしまった。
「ああっ女神さまっ」「天地無用!」「AIが止まらない」「HAND MAID メイ」「まもって守護月天!」「ちょびっツ」「花右京メイド隊」「まほろまてぃっく」「DearS」「いぬかみっ!」「ローゼンメイデン」「すもももももも〜地上最強のヨメ〜」「ハヤテのごとく!」などなど、枚挙に暇がない。美少女漫画・アニメの超定番パターンとなっている。
ちなみに、ラムは押し入れに寝起きするあたりもドラえもん的だが、そこも踏襲されていることが多い。
「天地無用!」のようにヒロインが複数の場合は、ハーレムアニメの分類ともかぶる。
「うる星やつら」は多数の美少女が出演するが、基本的に主人公あたるが追いかける立場というのが、ハーレムアニメとは異なるところ。
どーでもいいが「Dr.スランプ」は女ドラえもんパターンと言っていいのかいけないのか、「ぼくのマリー」は女ドラえもんと言っていいと思うが。やっぱり恋愛要素は必須か?
宇宙人
人類でない恋人、SF小説だとフィリップ・ホセ・ファーマー「恋人たち」なんかの重いテーマを持ったものを思い出すが、ラムは大仰さのない「ちょっと変わった女の子」レベルで描かれている。
もう宇宙人であることは大した注目点ではなくなり、主人公とヒロインの恋愛という、極めて普遍性のあるテーマの方が重要性が高い。
SFのカジュアル化を押し進めることになったキャラクタといえる。
転校生
ラムは友引高校への転校生である。地球人類と宇宙人の邂逅という壮大な設定を、高校への転入という形を取ることで、いきなり転校生という卑近なものにすり替えている。
この頃は大林宣彦監督作の「ねらわれた学園」「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」といった、SF・ファンタジー的な要素を含む学園もの映画が流行している。
これらの映画とうる星のどっちが先と言った議論はあまり意味はなく、そんな時代だったと言える。
まとめ
「うる星やつら」は、ラムに限らず、怪力少女や二重人格(的)少女、甲冑少女、男らしい女、巫女などなどなどなど、恐ろしい程の萌えのステロタイプの原型が溢れている作品である。
今見ると陳腐に感じる部分が多くある。それは時代が違うということもある。しかし一番の理由は、現在の萌えキャラクタが「うる星の再生産」から脱していないからだ。パクリが多すぎて本家がパクリに見えてしまう現象と言えばいいだろうか。
また、漫画は様々な物語のオマージュに溢れており、アニメはオタク的パロディに溢れている。このことは、こんなことやって良いんだ、自分たちも他の作品を元にして別の作品を作っていいんだ、とそれまで単なる消費者であった受け手に、お手軽に創作者になる道を示した。
勿論、「うる星やつら」の漫画・アニメと、二次創作による同人誌が同じレベルの作品だったというわけではないが、極めてその境界を近づけ曖昧にした作品であったことは間違いない。
基本がギャグ漫画であるため、少々の逸脱があってもそれを許容する「ユルさ」、何でもあり感がある。
絵的にも、漫画もアニメも作画は安定からはほど遠く、同一人物とはとても思えないブレがある。
完成度は高くなかったが、パワーがあり、作者・制作者が楽しく作っている雰囲気があった。
読者・視聴者もそこには参加したくなるし、参加している気持ちになった。これらが二次創作の気楽さを産んだのも間違いないところだろう。
ラムというキャラクタは、真似しやすい分かりやすい造形であり、真似したくなる魅力があり、そして真似しても怒られなさそうなユルさがあった。
最近は萌えが細分化されすぎ、まずその良さを理解するのにまず漫画・アニメ的リテラシーが必要だったり、キャラクタデザインが高度化しすぎて真似るのが困難だったりして、ちょっと一度原点回帰が必要なのではないかと、余計な心配をしてしまう。
追記: 初音ミクって緑髪ということとは関係なく、巨大ツインテールという分かりやすい特徴があって、もの凄く描きやすいという意味でラムに回帰したキャラなのかもしれない。